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2008年02月25日

「なぜ保釈できぬ」「裁判の公正を」

これも不可解な事件ですよね。
1ついえることは、アメリカが大きな証拠を握っていると言うことです。


なぜ保釈できない」「公正を求めたい」?。22日の逮捕から3日ぶり。)、法廷に姿を見せた元会社社長三浦和義容疑者(60)は強い口調で、思い掛けない身柄拘束を批判した。
 米自治領サイパン島南東部のススペ地区にある裁判所。三浦容疑者は裁判手続きが始まる数十分前、建物2階の法廷に入った。裁判官席の方に向かった席で背を丸めて座っている。鮮やかなオレンジ色のつなぎの背中には「DOC」の文字。収容施設の制服ということを示す。
 午後1時半(同午後0時半)に裁判が始まった。保釈の可否を決めるため、裁判官が身上に関する質問を繰り返す。「働いていますか」「ミー(Me)? ノー(No)」「奥さんの年収は」「サーティー・サウザンド・ダラー(3万ドル)」。通訳の男性が日本語で伝えるが、三浦容疑者は時折英語で返答した。
 「20何年前のケース(事件)で証拠隠滅の恐れはない。パスポートもなく、逃亡の恐れもないのになぜ保釈できないのか」。保釈を認められず、身ぶりを交えて反論した。
 国選弁護人を希望し、「私自身に収入はまったくない。奥さんの収入も家庭を維持するだけで精いっぱいだ」と主張。裁判の中で検事局の担当者と裁判官とのやりとりが通訳されないことを指摘し、「公正を求めたい。僕自身、裁判で何が進行しているのか分からない」と語気を強めた。 


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2008年02月05日

イエズス会

ってどんな組織なんですか?

イエズス会(ラテン語:Societas Iesu)はキリスト教、カトリック教会の男子修道会。宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大のものである。イエズス会員の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。

イエズス会の保護者は聖母マリアの数ある称号の一つである「路傍の聖母」。イエズス会の指導者は終身制で総長とよばれる。現在の総長はペーター・コルヴェンバッハ師である。会の総本部はローマにあり、かつて本部がおかれていたジェズ教会(Chiesa del Gesù)は歴史的建築物となっている。略称はS.J. 中国や古くの日本では「イエス」の漢訳が耶穌であることから耶穌会(やそかい)とも呼ばれた。

創設
1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ヤコブ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のピエール・ファーヴルおよびシモン・ロドリゲス)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹の諸殉教者聖堂(現在のサクレ・クール聖堂の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まった。この日がイエズス会の創立日とされている。彼らは清貧・貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを立てた。

「モンマルトルの誓い」のメンバー
イグナチオ・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年)
ピエール・ファーヴル(1506年 - 1546年)
フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年)
ディエゴ・ライネス(1502年 - 1565年)
アルフォンソ・サルメロン(1515年 - 1585年)
ニコラス・ポバディリヤ(1507年 - 1562年)
シモン・ロドリゲス(1510年 - 1579年)
1537年、一行はイタリアへ赴き、教皇から修道会の認可を得ようとした。当時の教皇パウルス3世は彼らの高い徳と学識を見て、まず彼らの司祭叙階を認めた。ファーヴルはすでに司祭叙階されていたため、他の6名が1537年6月24日にヴェネツィアで叙階を受けた。オスマン帝国と神聖ローマ帝国のカール5世の間で行われていた争いのために地中海を渡ってエルサレムに赴くことができなかったため、彼らはとりあえずイタリア半島にとどまって説教をしながら、奉仕の業に専念した。

1538年の10月イグナチオはファーヴルとライネスの二人を連れて再びローマを訪れ、会憲の許可を願った。審査した枢機卿会の面々はほとんどが好意的にこれを評価したため、教皇パウルス3世は1540年9月27日の回勅『レジミニ・ミリタンティス』(Regimini Militantis)でイエズス会に正式な認可を与えた。このとき、与えた唯一の制限は会員数が60名を超えないようにということであった。この制限も1543年5月14日の回勅『インユンクトゥム・ノビス』(Injunctum Nobis)で取り払われた。イグナチオは会の初代指導者(総長)に選ばれ、会員たちをヨーロッパ全域に学校や神学校設立のために派遣した。

会が発展するに伴ってイエズス会の活動分野は三つに絞られていった。第一は高等教育であり、ヨーロッパ各地で学校設立の願いを受けてイエズス会員は引く手あまたであった。イエズス会員は神学だけでなく古典文学にも精通していることが特徴であった。第二の活動分野は非キリスト教徒を信仰に導く宣教活動であった。第三はプロテスタントの拡大に対するカトリックの「防波堤」になることであった。イエズス会員の精力的な活動によって南ドイツとポーランドのプロテスタンティズムは衰退し、カトリックが再び復興した。

イグナチオが1554年に改定した会憲では、イエズス会が総長をトップとする組織であることが明記され、教皇と会の長上への絶対的な従順を会員に求めた(イグナチオは「死人のごとき従順」(perinde ac cadaver)という言葉を用いている)。彼の座右の銘はイエズス会の変わらぬモットーとなった。それは「神のより大いなる栄光のために」(Ad Maiorem Dei Gloriam)である。これは「どんな活動でもよい意志をもって精力的におこなえばかならず神の国のためになる」という精神を表している。
(以上、ウィキペディアより引用)

なんか色々ありそうな組織ですね!

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